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1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
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モダン心斎橋筋

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 先日の古本市で昭和2(1927)年につくられた「心斎橋筋案内」を手に入れました。

 これはコンパクトサイズの折り本で、心斎橋筋の1、2丁目の店舗が描かれているのですが、橋爪紳也監修『心斎橋筋の文化史』によれば、各店から注文を取って各々の広告を表紙に使って印刷頒布し、それを各店が顧客に配ったものだということです。
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 当時は「大大阪」と云われ、「東の銀座、西の心斎橋」と並び称され、「銀ブラ」に対して「心ブラ」が大流行していました。

 一口に心斎橋筋といふが、大体これを四つに分ける。
 長堀川に架つた心斎橋から、北の方新町橋通り付近に至るものを心北(しんきた)。それから心斎橋を渡つて南へ、大丸百貨店の、もう一つ南の辻、周防町までを心斎橋筋一丁目。それからまた南へ、道頓堀川に架つた戎橋までを同じく二丁目。戎橋から更に南へ、難波までを戎橋筋。
 かう分けてみると、世にいふ=心ぶら=とは・・・その一丁目及び二丁目がもつところの、凡そ七百メートルほどの小売商店街を覗きながら歩くことをいふのである。

 北尾鐐之助 <心斎橋筋の一考察『近代大阪』より

 「心斎橋筋案内」は、あの肥田晧三先生が所蔵する他には、現在ではほとんど残っていない貴重資料だということですが…それにしてはリーズナブルでした(^^)

 下図は『心斎橋筋の文化史』で紹介されていた図版です。
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 現在、建て替え工事中の大丸心斎橋店のフェンスでは、大丸の歴史が紹介されていますが、昭和初期の説明に「心斎橋筋案内」が使われていました。
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 大丸が近代的な百貨店のビルとして完成したのは御堂筋側ができた昭和8(1933)年ですが、昭和2年当時、「心ブラ」でにぎわう心斎橋筋の側は既にできており、こちらが正面玄関でした…

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 「心斎橋筋案内」に描かれた図と比べてみると、中央玄関の孔雀や周辺の装飾は、ほとんどが当時のままだったことがわかります…

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 心斎橋筋の大丸の屋上にのぼつて大都市街を展望する。近く完成した大阪歌舞伎座のビルディングや南海高島屋のビルディングなど、いづれも、空際に新しい色と線とを画して聳立してゐる。其他にも、新しいビルディングの出現はだいぶふえてきてをる。が、併し、よく見ると、自分の立つてるビルディングの脚下から、依然として、累々連つてをるあの大阪独特の町家のドス黒い屋なみを見出すであらう。
 橡内吉胤 <大阪の色から『日本都市風景』より

 関東大震災により古い町並みが無くなってしまった東京とは違って、心斎橋筋には古い町家が残っていましたが、後に村野藤吾の設計によりモダンなビルになった「そごう百貨店」も、まだこの当時は「十合呉服店」の時代で大正時代の面影を残す店舗でした。
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 余談になりますが、現在の「大丸心斎橋店・北館」の建物は「そごう百貨店」のリニューアルの際に建てられたものですが、出入口の庇のデザインは、「十合呉服店」のデザインを踏襲しているような気がしないでもない…?
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 私が手に入れた「心斎橋筋案内」は「羽田貴金属店」のもので、店舗は「十合呉服店」の向かいにありました。

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 かつて「羽田貴金属店」があった辺りと思われる現在の店頭風景。
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by suzu02tadao | 2017-07-09 07:00
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